大宮神社


鎮座地 大阪市旭区大宮3丁目1番37号  電話 06-6951-2196

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境内案内(本殿)

御本殿は昭和11年に建築されました。設計監督は泉佐野出身の著名な建築家、池田谷久吉(いけだやひさきち)氏によるものです。氏は岸和田城の建築でも有名で郷土史研究家としても活躍した人物です。

ここでは現在の写真、建築当時の写真等をご紹介します。

●御本殿・三間社流れ造濱床、一間向拝付(さんげんしゃながれづくりはまゆか、いっけんこうはいつき)
●神門・四脚平唐門(しきゃくひらからもん)

◆設計監督 池田谷建築事務所 池田谷久吉
◆施工 金剛建築部
◆塗師 遊部商店
◆屋根師 山中製練所

昭和11年10月御造営記念冊子より、池田谷久吉氏による工事報告をご紹介させていただきます。



工事報告

設計監督 建築士 池田谷久吉

昨年十二月着工致しまして早や九か月の星霜を過ぎ、今回予定より早く恙なく工事完成致し本日斯くの如き御盛大なる竣工奉告祭を御催しの列に不肖設計監督として列席の栄に接し得らるるのも、偏に神明の御加護と府市當局を初め社掌廣瀬先生の御熟誠なる御指導と氏子総代並各位の涙ぐましき迄の敬神の御心の賜と深く感謝致す次第であります、この盛儀に際しまして本工事の概要を報告致したいと存じます。
当初設計に當りましては社殿の配置に最も留意致し現拝殿を取入れまして森厳荘重にして質實剛健を旨としたる設計をなし以て祖先の遺業保存と祖先崇拝の趣旨に副ふことに努めました、旧本殿は草創以来度々修理を加へられたるものと思われますが良く古制を存し立派なるものでありましたが客年の大風水害により大破し修理不能になりましたので今回は旧本殿の古制により両翼を建増し御神座を廣く取設け元の位置に由緒ある本殿を再現し神門も旧位置に元の平唐門とし透塀も旧形を入れ内庭廣く回廊を廻らし旧社殿に従ひ本殿は極彩色、其他は総丹塗と致したので御座います。
昨年十二月十六日地鎮祭執行し本年九月十五日竣工する迄九か月此間従業人員延壱千八百人、使用材木は吉野産檜良材を用ひ公費三萬円と相成たので御座います、工事施工者は聖徳太子時代より連綿として終始一貫、社寺建築に奉仕せられ建築界に重きをなす金剛建築部之を担當し當所の厳重なる監督指導のもとに工事を進め特に構造方面に於きましては一昨年の大風水害に致し耐風耐震等に留意し完全を期したので御座います。
又屋根銅檜皮葺は山中式特許銅檜皮葺となし体裁且雨水洩の欠如を補ひ御覧の通り立派に聳上がつたので御座います。本殿色彩色は當事者の最も苦心致したるものにして當神社の由緒を思ひ各地の桃山時代の國賓建造物を見学参考とし施工下請塗師も金澤にありて塗工としての名匠遊部商店に命じ協力一致したので御座います。
其他社掌の御心遣ひに依る境内整理御調度品の新調と相俟って立派なる社殿が竣功致し実に慶賀の至りに堪えない次第です、依然理想と致しましては當神社は未だ之を以つて萬全とは申せません、未だ多くのなすべき施設と建築物とは多々あるのであります。何卒皆様の御力に依りましてこれが完備を期し大大阪否大阪府の模範神社として御神明の益々に彌栄ん事を願つて工事報告を終ります。

昭和十一年十月十四日



現在の御本殿
本殿
拝殿西側より


本殿
高良社前より


本殿
神前
本殿
裏門






本殿
風水害後の旧本殿


本殿
桃山の特徴を残す旧本殿



本殿
旧本殿の神前



地鎮祭
地鎮祭の様子



上棟祭
上棟祭の様子



上棟祭
散餅散銭の儀



遷座際
遷座祭後の写真



奉祝際
奉祝祭の様子



祝賀会
祝賀会の様子



本殿
建築当時の全景



本殿
建築当時、横から見た本殿


本殿
建築当時の神前




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